石 笛 演 奏 方 法
[1]非貫通型 ・・・・・・・・・ 歌口だけで演奏する。
歌口:息を吹きつけて音を発生させる穴・吹き穴
指穴の存在が無い為、尺八で言う[メリ][カリ]の微妙なコントロールのみで音程を変化させますが、
その方法には@、A、@+Aの各3種類があります。
この手法は同じ閉管楽器であるパンフルートの一管のみで小鳥のさえずりを模倣したり、半音を出す
時も同じです。
(1)音程を下げる ・・・・ メリの手法で歌口面積を狭める。
@石と下唇の接点を支点にして、歌口を内側に廻す。
(唇の空気柱出口と歌口壁を近付けて歌口面積を狭める。)
* 歌口壁 : 空気柱が当たるエッヂ部分
A顔をうつむかせる。(下を向く・・・・顎を引く)
B石と顔の両方の動きを組み合わせる。
(2)音程を上げる ・・・・ カリの手法で歌口面積を広くする。
@石と下唇の接点を支点にして、歌口を外側に廻す。
(唇の空気柱出口と歌口壁を遠ざけて歌口面積を広げる。)
* 歌口壁 : 空気柱が当たるエッヂ部分
A顔を仰向かせる。(上を向く・・・・顎を上げる)
B石と顔の両方の動きを組み合わせる。
上記手法で、1オクターブ以上に及ぶ音域の音階・分散和音・旋律などを吹き穴一つで、半音
単位、更には1/4音などの微分音、ヴィブラートに至るまでもコントロールして演奏します。
2001年7月4日全国放送のNHKラジオ及び、2006年9月21日放映の日本テレビ「おもいっきり
テレビ」の石笛の達人でこの技法を駆使して演奏したシューベルトの「アヴェ・マリア」は、驚くほど大
きな反響がありました。
この技法の習得・会得は正に「吹禅」「一音成仏」の世界です。
これをもう少し分かり易く言い換えると、フルート・尺八・篠笛・ケーナなどの、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ
やロ・ツ・レ・チ・リと言う音階の中のどれか一つの指定音の指使いのまま、運指(指使い)を一切使
うこと無く、1オクターブ以上に及ぶ音域の音階・半音階・分散和音・旋律などを奏する事を想像
して頂ければ・・・・・・・・・・・・・・・・、と思います・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
(注) 洋の東西を問わず昔から言われている「息を当てる角度を変えて音程を変化させる」と言う
表現は、簡単な理科の実験でも証明することが出来ますが、大きな間違いです。
歌口面積を変化させている行為が、息を当てる角度を変えることで音程変化させているよう
に見えるのでしょう。
「息を当てる角度」は「鳴る鳴らない⇒音を形成できるか否か」「鳴りの良し悪し」「音色」に関
わる項目で、音程変化には大きな影響を及ぼしません。
«メリ=音程を下げる» «カリ=音程を上げる»
[2]貫通型 ・・・・・・・・・・・ 歌口と指穴操作で演奏する。
非貫通型の歌口面積コントロールと、指穴面積の微妙なコトロールを組み合わせる。
(1)音程を下げる
@指穴面積を狭める。(最低音は全閉)
Aメリの手法。
B指穴とメリの組み合わせ。
(2)音程を上げる
@指穴面積を広げる。(最高音は全開)
Aカリの手法。
B指穴とカリの組み合わせ。
上記手法で、1オクターブ以上に及ぶ音域の音階・分散和音・旋律などを、吹き穴と指穴で、
半音単位、更には1/4音などの微分音、ヴィブラートに至るまでもコントロールして演奏します。
貫通型は能管の「幽玄」と言う言葉が正にぴったりとくる響きで、更に2001年・2004年にNHK
テレビ・ラジオで演奏した私の作曲作品「桜花飄揚」などに見る「超絶技巧」の演奏もします。
[3]私以前の通説 ⇒ 間違い
(1)息を当てる角度を変えて音程を変化させる。
上記[1]非貫通型(注)にも書きましたが、実際には歌口面積変化・変動に伴う音程変化で
す。
演奏者の感覚的意見や専門家・聴衆者達の見た目から来る印象や思い込みや錯覚が他
の楽器に於いても古くから正論として世界的通説となっている表現(言い回し)です。
(歌口面積変化と言う要因発想が無かったのでしょう。)
私が1970年代に「女竹製パン・フルート」製作に於ける多種多様の様々な実験を行ってい
る中で発見した物理現象の中の一つに【吹き口面積の変化で音程が大きく変化する】と言う
事実が有り、これまで言われていた通説が間違いであることに気づかされました。
当時モダンフルート・尺八などの音程修正について、専門家(音大教授や演奏家)がテレビ
放映の中でも「息を当てる角度を変えて音程を変化させる」と言う表現を普通にしていた時代
なので私もそれを当然の真実と受け止めていました。
(2)気分が高揚すると音程が上がり、気分が落ち着くと音程が下がる。
@気分が高揚すると顔が仰向く(顔が上を向く、顎が上がる)
⇒尺八で言う「カリ」を行っていることになり、歌口面積が広がることから音程が上がります。
A気分が落ち着くと顔がうつむく(顔が下を向く、顎が引かれる)
⇒尺八で言う「メリ」を行っていることになり、歌口面積が狭まることから音程が下がります。
(3)弱く吹くと低い音が出て、強く吹くと高い音が出る。
言い替えると ⇒ 「低い音を出すときは弱く吹き、高い音を出すときは強く吹く」
@石笛・パンフルート・ボトルフルートなどは全く同じ発音原理なので、パンフルートで実験す
ると更に分かり易いと思いますが、一管のみ(一つの吹き穴のみ)で吹き口面積を全く変化
させることなく「最弱」と「最強」の吹き方で出る音程差はせいぜい半音強程度で、音楽的
に使用できる音量を考えると長2度以上の音程変化は望めないでしょう。
息の強弱だけで半オクターブ以上の音程変化はあり得ませんし、もし有るとするならば・・・・
⇒ 吹き口(歌口)の面積変化が確実に起きています。
A音楽表現は文章表現と同じで、一音(文章ではひらがなの一文字)は何の意味も持ちませ
ん。
幾つかの音が集まって「単語」になり、更に集まって文節(フレーズ)になり、伝えたいことの
意味が理解できるようになります。
このフレージングの流れの中で、低い音が出る度に突如として「極端に小さい音」になり、高
い音が出てくる度に突如として「極端に大きな音」で表現されるような凸凹音の単なる羅列
では音楽表現は成り立ちません。
【大きく野太い低音】【小さく柔らかな高音】【流れるようなフレーズ内の音量バランス】も要
求されます。
即ち、感動させることを目的に設計された「一連のエネルギーの流れ」を表現したり、「塊の
表現」をするものが音楽表現なのです。
[4]石笛の演奏内容別分類
[5]吹禅・一音成仏
吹禅は普化宗(明治四年廃止)の僧侶(虚無僧)が禅道を修行する為に、座禅と同じく、尺八によ
る呼吸の鍛錬で無念無想の境地を極める行法です。
吐き出す息とそれにより作り出される音を静かに観ずることによって、その境地を極めるのです・・・・・
«心»が乱れれば«息»も乱れ«音»も乱れる・・・・・・・。
昔の禅僧は尺八を座禅の便法とし、これを«吹禅»とか«一音成仏»と言っていました。
即ち、一音聴けばその人間の[精神状態][健康状態][腕の未熟さ・熟練度]などが分かってしまうの
です。
息の乱れから来る音の乱れは最悪のようであります・・・・・・・・・・・・・・
例 @曲の最初の一音から最後の一音に至る迄の総ての音・・・・・・・・・・・
更には、もっと極端な表現をすると、六十四分音符などの極小音符などに対して迄も音
を震わせ続けたり、
A異常に過度な呼気変化(音程変化)による異常振幅ヴィブラート
B山羊の鳴き声と呼ばれるヴィブラート・・・・・シェブローテ
C未熟さや異常緊張などから来る不安定な音の震えや揺れ
など・・・・・・・・・・・・・・・・。
何千年、何百年も伝承されている民族楽器の奏法を見ると、
@尺八・横笛などは首を振る。
Aパンフルートは楽器を揺する。
Bバッグ・パイプや古楽器などは、指孔に指を近づけたり離したりするフィンガー・ヴィブラー
トをかける。
これらは息を乱すこと無く、音に変化を付けて緊張感を持続させる為の手法です。
その息は、あくまでも真っすぐで艶やかで輝きに満ち、揺れや震えの無い、張りのある美しくしいも
ので無くてはなりません。
ヴィブラートを人体で例えてみると
@真っすぐで艶やかで揺れや震えの無い美しい音=健全な体(ボディー)
A音に変化を付けて緊張感を持続させる為の手法=心臓のときめき
に置き換えることができます。
即ち、心臓の鼓動は体の中で人知れずときめいていなければなりません。
そしてその胸のときめき、胸の高鳴りは豊かな表情や仕種となって表出・表現され、人の心を動か
します。
心臓が体の外に飛び出してしまっている人を目の当たりにした時、あなたはどの様な心理状態に置
かれるでしょう?・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、心臓が不整脈や心室細動などを起こしている状態にあるならば・・・・・
西洋音楽に於けるここ何世紀かの文献を見ると、その真髄は
@飽きさせることなく
A緊張感を持続させ
B人の心を心地良く感動させること
にあり、その為にどのような[変化]や[揺らぎを]与えるかと言うことにあります。
例えば、長く伸ばす音を一例にとって見た場合、
@途中から音を膨らませて消しこむ。 ・・・・・・・・ messa di voce
A途中から音を揺らす(ヴィブラート)。 ・・・・・・・ vibrato
B途中からトリルを遅く〜徐々に速く入れる。 ・・・・ trill
などの方法が有り、[装飾法]の一つと捉えられます。
それに対し、常に息を乱し続け、音を揺らし続けることは、その表現効果上
@雪の上の白花
A闇夜のカラス
にも似た趣が有る様にも思えますが・・・・・・如何でしょう?・・・・・・・・・。
緊張感を持続させる為の手法、即ち、必用なものを・必用な時・必用なだけ使用した時、最も
大きな心理的効果が齎(もたら)されます。
三平方の定理で知られるピタゴラス(紀元前572〜492)が行ったモノコードによる実験で、完全
5度関係の振動数比が3:2の整数比関係にあることが判り、この基本原理から完全5度関係
を12回積み重ねることで「ピタゴラス音階」が作られました。
その後アルキタス(紀元前430〜360)が完全4度を大全音・小全音・半音に分割し、大全音+
小全音=純正長3度の非常に美しい響きの振動数比5:4を発見し、アリストクセノス(紀元前
354〜?)の純正律の考案・・・・と、音階研究の数理計算はその後も更に続いて行きます・・・・。
これらはキリスト生誕の実に三百〜五百年以上も前の出来事ですが、私が若い頃神様と崇め
ていた先生が、天上界の音楽は純正調で鳴り響いていると言われた言葉を今も時々思い出す
ところであります。
最も美しく響く調和の取れた完全な音程関係(周波数の整数比関係維持)を、曲の最初から
最後の一音に至るまで意図的に、或いは無意識のうちに総ての音を震わせ続け・崩し続けること
の是非については賛否両論有るところでありますが、とは言え、「良い趣味」により「美しくコントロ
ール」され「タイムリーに使用」されたヴィブラートは、誠に感動的で素晴らしいものであることもまた
事実であります。
兎にも角にも先ず最初に、「吹禅」「一音成仏」に還元される呼吸法の鍛錬による、真っすぐで
艶やかで輝きに満ち、揺れや震えの無いしっかりとした張りのある美しい音作り、 ・・・・・・・ 即ち、
[健全な体]作り有りき!! ではないでしょうか !!・・・・。
音の本質を ・・・・・・・・・・・・・・・・ 健全な肉体
音の本質に付随するものを ・・・・・・ 衣服、アクセサリー、化粧、香水
に置き換え直してみると、付随するものによってだけでも「上品」にも「下品」にもなってしまいます。
故に、私の生徒達(リコーダー・オカリナ・横笛etc.・・・)には、私が半世紀と有余年楽器の設
計・製作・開発を行っていることもありますが、音楽の行き着くところの究極は、【物理】 と 【心
理学】であると常々言って聞かせているところであります。
「自然界の法則」や「自然界のゆらぎ」の中に置かれた時、人は心地良い感動に包まれます。
とは言え、私自身四十年前から民族楽器・民族音楽の奏法をふんだんに取り入れて鍵盤楽
器には存在しない音程も多用して演奏しているのですが・・・それらは音楽の調味料(味噌・醤油・
魚醤・カレー・キムチ・香辛料・ハーブなどの様に)や、心地良い揺らぎと捉えています・・・・・・。
民族固有の音階もさることながら、それによりその民族やその地域独特の「味」や「香り」が更に醸
し出されてくるのです・・・・・・・・・・・。
[6] 石笛吹奏の極意
(1)在るがままを受け入れ、石に合わせる
石笛は、西洋楽器や邦楽器など人間にとって都合の良いように作られた人工物とは全く異なり、
自分の意のままに捻じ伏せるような一方的な吹き方をしても、その表現コントロールは思うようになりま
せん。
石の在るがままを受け入れ、石の意思を尊重し、石を自分に合わさせるのではなく、石に自分を合
わせる姿勢が要求されます。
元来それぞれが自分の歌を持ち、不器用で能力差が非常に大きい石笛達にとって、他の石の歌
や人間が作った歌を歌うことは、とてつもなく大変な事なのです。
最初から一方的にコントロールしてやろうと思ったり、ドリルで穴を明けたり、ニスを塗ったり、その他
物理的な加工や細工を施してはいけません。
在るがままの存在、それ自体に[自然の不思議さ][偶然性][神秘性][希少性][奇跡][楽器として
の完璧性]と言った価値観が見出されるからこそ、その奏法もさることながら、石笛は人間が手を加
えることの一切を拒絶する[究極の楽器]なのです。
これは、在るがままの総てを在るがままに受け入れる、[一物全体]の思想に通ずるものがあります。
(2)性格・特徴・癖を理解する
人間も一人一人が違うように、石も一つ一つが異なった性格・特徴・癖を持っています。
それを理解してあげてこそ、自分の意図する表現を石にも受け入れて貰えるのです。
(3)石と親友になる
石笛と接する中で、それが持つ性格・特徴・癖を共有することが出来るようになってくると、必然的
に、自分の意図する表現も出来るようになってきます。
(4)口笛の如くに
初めて口笛で音が出せた時のことを思い出してみて下さい。最初から思い通りの旋律や表現が出来
た訳ではなかったと思います。
オーケストラ楽器は1オクターブを12に分割して演奏出来るように作られています(基本となる開放
弦的なものは有るものの、ヴァイオリンなどフレットの無い弦楽器やトロンボーンなどは別として)が、しか
し、口笛も石笛もその分割は無限で有り、指定音(音程)を出す為の厳格な理屈は何も存在しませ
ん。
・・・・・・・・・全ては感覚の世界です・・・・・・・・・・・・・・・。
しかし其のうちに、石と自分の体が同期するようになってくると、口笛の如くに意図する表現に近い
物が可能になってきます。
そして更には、自由自在に音を操り、変幻自在な感情表現・演奏表現を繰り広げることが出来るよ
うにもなることでしょう。
ここまでが私から皆様に贈る演奏法の無料公開内容です(但し、著作権は私に有ります)が、
更なる「奥義」「秘儀」は、入門者の中で基本的技量を習得した者のみに授けられます。
※ ここに公開した基本技法の習得自体非常にレベルの高いものですが、
それでも石笛技法全体から見ると1/3程度と思って下さい。
石笛を石笛たらしめる技法は、更に、残りの2/3に有ります。
Stone whistles
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